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家族鬱病体験記
    家族が見た息子のうつ病治療と治った記録 対応と接し方


この体験談を鬱病の家族を抱える人たち、何よりも鬱病で苦しんでいる当人に送ります。スリーライクより

うつ病は当人の問題と同時に家族の問題です
私たち家族の場合は息子(長男)のうつ病の発症で大変な思いをしました。
もちろん、当人が一番うつ病で大変な思いをしたわけですが。
しかし、息子のうつ病は家族に深い影を投げかけました。
当人は私たちが想像できる以上に苦しんでいるに違いありません。
でも、どれくらいの苦しいかは、どうやって第三者が推し量れるでしょうか? 親であろうともです
そこにうつ病をはじめとした心因性神経症の取り扱い方の難しさがあると思います。
うつ病治療のために薬に頼るしかなかったことを含め、それらにうつ病の恐ろしさがあります。
安易に家族も大変な思いをしたなどと書きたくありませんが、周囲まで巻き込む症状であることは確かです。
うつ病への家族としての対応や接し方は、当人にとっても改善するか悪化させるかの分岐点だと思いますので、
こういう体験記を書く意義があると思い載せています。

息子のうつ病の時の様子についてです。

私(スリーライク)は、とある会社を経営しています。
将来後を継がしたいと考えていた長男がうつ病に陥りました。
それまで、うつ病に対して根性の問題だと考えていただけに、困惑しました。
私はうつ病がどういうものか表面的に知っていただけで、軽く考えていました。
心の風邪と言われていたこともあって、ストレスが過度に襲いかかって疲れただけで、休めば必ず治るものだと思っていました。

しかし、実際に息子と妻がうつ病になるにいたって、あんな恐ろしいものはないと考えるに至りました。
知り合いの会社社長に聞いても、うつ病は異様とも言えるくらい爆発的増加を見せているそうです。
それと同じく、あまり表には出てきませんが、抗うつ薬依存と副作用という弊害も比例しているようです。
アメリカでもヨーロッパでも、最近では中国でもそう。
四分の一がうつ病(軽いのも含めて)であるという統計もでています。
どれも薬を投与して急場をしのぐだけなのは、副作用もあって怖い。でもうつ病は自殺と密接です。だから依存してしまう。
どれも対症療法なので、出口もなければ未来もない。
当人と同じく、私たちも出口がありませんでした。
どんなうつ病治療法を試しても効果が出なかったのです。

長男は将来私の会社の跡継ぎにするつもりでした。
それまでは、大手銀行で武者修行させて、その後に帝王学(といったら大げさか)を学ばせようと考えていた。
しかし20代の末にうつ病になり、まったく頭が使い物にならなくなった。
使い物にならないという言葉は失礼な書き方かもしれません。
しかし、私から見ても理解度や集中力がまったくなくなり、何より当人がそれを苦にしていました。
聡明で、記憶力もよく、親ながら鋭いと思うくらい能力があったし、跡継ぎとしても恥ずかしくないものはあると思っていた。
学業もつねにトップクラスだった。
この息子なら会社を継がせても大丈夫だし、さらに会社に若い血を入れてくれるだろう。
ただバイタリティはないなと感じていたが、それは会社でもまれることで引き出すつもりだった。

どうも息子は調子がいいときと悪いときが昔からあったらしい。
躁うつに近い状態だった。
ただしうつ病にははまらずにもってきた。
しかし銀行に勤めて数年経ってから、元気が見るからになくなってきた。
あのときは銀行も大変で、そのせいだと思っていた。
その苦労を乗り越えれば、強くなれると思い、特にサポートはしなかった。
同居していたが、明らかに日曜日は様子がおかしかった。
出社拒否症におちいりはじめていたのだが、当時はわからなかった。
私も仕事は忙しかったし、妻は病気がちだった。
次男は海外勤めで、長男の様子のおかしさに気づくのが遅れてしまった。
初期段階で岩波先生のような専門家に相談して対処していれば、あれほどのうつ病治療の苦労はなかったに違いない。

もともと長男は責任感が人一倍(二倍、三倍も)強く、様々な重圧を一身に背負い込んでいたらしい。
根性の問題でなんとか乗り切れるものだと私は思っていた。
うつ病はとはそんな精神論で語ったらいけないらしい。
アドバイスももってのほかだという。
励ます言葉も逆効果だ。
実際叱りとばしたこともあったし、アドバイスもしてしまった。頑張れとも言った。
その時の息子の反応は、響いてくるものがなかったことにまず驚いた。
叱ったり、励ましたりするからには、相手のなにかしらの反応を期待するからなのだが、
生気が失せていたことにゾッとした。
どうしたらいいんだ? これは家族の者が陥る罠だ。
うつ病を患っている人間の周囲の者は、どう接していいかわからなくなる。
当時は私は平然と長男を叱りつけた。
こんなんじゃ将来私のあとを継がせることができないからだ。
上に書いたうつ病患者への対処なんて考えもしなかったから、叱責こそが長男のためになると思っていた。
俺の時は乗り越えたということもあった。
それが追いつめてしまったのかもしれない。いや実際に会社だけでなく、家でもプレッシャーを与えてしまった。
とても反省しています。しかし、わからなかった。
みなさんも私と同じ轍を踏まないでください。

当時の私のうつ病の人への考えを批判を覚悟で書きたい。
これは多くの人が現在進行で思っていることでもあるから。
まだまだうつ病への真の理解はほど遠いと感じます。
まず、たるんでいると思う。根性がないからだと思う。集中力がない、我慢ができない、つらいことからすぐ逃げる、甘えがある
こんなところでしょうか。
実際はそんな問題ではないのだが、当時の私もこんなふうにとらえていたと思う。
無知こそが最大の罪だと誰かが言っていたが、私も妻も罪を犯してしまったのだ。

無理に長男に銀行に通わせた。
長男もどうにかしなければと焦っていた。
だから自ら精神科に通うようになった。
最初知らなかったが、妻が精神安定剤、睡眠薬、抗うつ剤を発見してわかった。
薬に頼る我が子が情けなくなった。気の持ち用一つで何とかなるものなのに、なさけない(と当時は思った)。
長男なりに何とかしようと必死だったのだろう。
薬を飲みながら一年は銀行に勤めていただろう。
朝出社するのがきつそうだったが、人生の一時期の気の迷いだと楽観的にとらえた。
人間は弱いもので、不安があることは現実をしっかりと認識しない。
目を背けてしまうのだ。私がそうだった。
息子も抗うつ薬で紛らわせていればどうにかなると思っていたし、私も時が解決すると思っていた。
そのうちに自分の責任と役割を気づいてくれるはずだと思っていた(思おうとしていた)。
都合の悪いことから目をそらし続けた結果、長男の症状が急激に重くなった。
鬱病治療に効果があるといわれる抗うつ剤を飲んでもである。
これじゃ、飲まない方がどんなに良かったか。
結局銀行を休養することになりました。

息子はいつか復帰しよう、できるかもしれないと思っていたが、結局もう銀行で働くことができなかった。
私の会社に入れることにした。思わぬ計算違いでした。
プレッシャーが銀行であったなら、私の会社で働いて、元気を取り戻してくれればいい
でもここでも同じことだった。
最初は本人もホッとしたようで、会社に行くこと自体苦ではなかった。
でも、会社になれてしまうと、うつ病が重くなった。
抗うつ薬では抑えられないくらいに。
私はこのときになってことの重大さに気づいた。
これはうつ病のことをしっかりと知らなければいけない。
時間は解決してくれない。
残された時間も限られている。
復帰したときに、よぼよぼの老人だったら社会的生命もないに等しい。
ずっとうつ病のままでいることのほうが怖い。
もし家族がうつ病に甘い観測、憶測を持っていたら、すぐ改めた方がいいでしょう。
これは一刻も時間を争うほど大きな問題です。
それに抗うつ薬を飲めば何とかなってくれるんじゃないかと言うことも捨てましょう。
何にも解決ならないものです。
医者は義務で出しているだけで、ほんとうは薬がいつまでももつとは思っていない。
家族はそれがわかっていない。
いつか治ると思って当人も飲んでいる。

まずうつ病とは何かをしらなければ対処しようがないと感じました。
大学時代の友人に電話をして(心療内科の医者だった)、詳しく聞いた。
そのときにうつ病患者に対しての接し方を教わった。
長男をうつ病治療のために連れていった。
どんな抗うつ薬を飲んでいるか聞かれた。
長男にははっきりと答える精神力も消え失せていた。
私が代わりに答えると薬が効かなくなったんだなと医者が答えた。
薬を変えておくから一週間おきに来て、と告げられ、私と妻が交代で長男を連れて行った。
昔の友人だけに時間をたっぷりとってくれ、巷でいわれる3分診療はなかった。
最初抗うつ薬が変わったという「気持ちの変化」で落ち込みが止まったようだった。
親身になってくれる心療内科医の存在も良かった。
しかし、何回もうつ病治療を受けていくうちに抗うつ薬の効きが悪くなっていった。
友人の医者は薬の量を増やした
回数も増やした。
そのあとはまた薬の種類を変えた。
それぞれ人に合った薬があると言われていたため、それが見つかるまで試していくんだなと考えていました。
ここでも私は認識間違いをしていたのです。
合う薬なんかあっても、一生毎日飲み続けて、効き続ける保証なんてありますか?
末恐ろしくなった私は、心療内科に通わせることをどうしようか迷いはじめた。
知り合いの医者だけに、どう切り出していいか難しかった。

そのころはもう息子に余計なプレッシャーをかけないようにした。
私が息子を知らず知らず追いつめていた言動を改めた。
だが内心は私は焦燥感と不安感でいっぱいだった。
このまま潰れたら、それまでの息子の頑張り、私や妻の育てた労力はなんだったのか。
ふと会社でパソコンに向かっていたときに薬の種類が気になった。
前から気になっていたけれど、知ろうと思ったのはそのときが初めてだった。
薬の名前で検索してみると、前飲んでいた薬よりもさらに強い薬だった。
副作用も強かった。恐ろしくなってしまった。
私は友人の心療内科医に電話した。
なんで薬のことをよく説明してくれなかったのかと責めた。
薬を出すのが医者の仕事。
いい薬、合う薬をいまいろいろ試している、それに自殺が怖い症状だから、薬ははずせない。
はずすと症状が一気にきてしまうかもしれない。
それなら、なんで薬を飲ませるんだ。
飲まなくなると逆に心と体がやられる薬なら、なぜ医者は抗うつ剤を出すんだ?
「自殺されると困るからだ。友人の子供を死なせるわけにはいかない。少しでも楽にしてやりたい一心だ」
たしかに自殺は私も心配だった。
長男は口には出さなかったが、自殺願望が大きくなっていたようだ。
長男のどす黒いマイナスオーラは、一緒にいてもきつかった。
私まで飲み込まれてしまいそうなほど、落ち込んでいた。
心療内科の論理は、そのまま精神科医全員の論理だと思う。
結局、薬で歯止めをかけるしかないのか。私の絶望が大きくなった。
しかし薬を飲み続けさせるリスクも大きかった
友人におそるおそる聞いてみた。
ほんとうは聞きたくなかったが、これ以上現実から目を背けるわけにはいかない。
友人は怖いことを言った。医者である人間が言っただけに衝撃的だった。

薬はいつまでも効くものではないし、薬で対症療法をしているうちにうつ病が良くならないといけない。
医者にとっては、一日も早く患者の苦しさを解放しないといけない。
いまは薬しかないんだ。
カウンセリングでは限界がある。
患者が医者のうつ病治療を受けに来ると言うことは、楽にしろと言うこと。
それを提供しないと逆に非難を受ける。
死と一番直結している神経症だから、どうしても対症療法をしないといけない。
どうしようもないことだし、薬を出さないで自殺されたらこちらの責任問題になる。
いまは訴訟もあるし、そうせざるをえないのが今の現状なんだ。
率直に真実を語ってくれた。
不思議と腹は立たなかった。私の心に絶望の影が忍び寄ったからだ。
私も最初の気負いはなくなっていった。
私がどうやら、うつ状態の初歩段階らしい。
先が見えないままずっといったら、人間の脳内伝達物質に悪影響を与えるのが実感としてわかった。

医者は 口に出さなくても、早く楽にしてくれという患者と家族のプレッシャーがきついからすごいストレスらしい。
薬を出しておけば、医者としての職務を全うしているから。
そういう事実を聞いて、逆にありがたかった。
結局、抗うつ薬では治らないということだった。
どういう治し方があるのか、知ろうと思った。
無駄な遠回りをしてしまったのだろうか? 薬はなるべく飲まないように長男に言った。
長男は薬を飲まない時があること自体、不安に感じていた。
飲んでも飲まなくても不安なら、飲まない方がずっといいじゃないかと私は思った。
でも、悩んでいる当人からしたらそうじゃないらしい。
どうせ地獄なら、なにかすがるものがあった方がまだ精神的にもいい。
でも、不安が消えるわけじゃない。
ずっとだるさが消えないで、寝たきり状態になる。
会社で長男はずっとぼーっとしていた。
彼なりに眠らないように闘っていたんだろう。
私は長男を人目にさらさないようにした。
示しがつかないからだ。
もし他の会社勤めで、うつ病に理解がないところなら、首だろう。
私の会社で働いていることがいいのか悪いのか混乱してしまいました。
とりあえず、家でずっとひきこもりの生活を続けるよりはマシだと考えた。
でも、限界が来てしまった。
長男の勤務態度が明らかに駄目だった。
会社組織の一員として完全に要らない存在だった。
私ももうかばいきれなくなった。
入院させるべきか思い悩んだ。

問題は薬をどう扱うかだった。
入院したところで、薬物うつ病治療を続けたら意味がない。
薬を飲むことで解決が先延ばしになったり、もっと重症化するという。
依存していた薬が効かなくなったとき、死ぬしかなくなるのがうつ病かもしれない。
まだ他の人よりは早く気づいて良かったかもしれない。
とりあえずは家庭でカウンセリングを続けつつ、薬を減らしていったり、軽くしていくことにした。
徐々に薬を減らしていくならと、長男も同意した。
薬の管理は妻の作業になった。
友人の心療内科にも薬を減らしていく旨を伝えた。

うつ病のことを詳しく知ると、社員にも私の周りのも多くがうつ病、仮面うつにかかっていたことがわかった。
匿名でアンケートを採ったからだ。
まだ重くなっていないだけの違いだった。

私は会社に働きに行っていたが、妻は長男と一番向き合う時間が多いため、それがストレスになっていった。
このときに及んでも、解決してくれる名医を探していた。
薬をうまく減らしながら、最終的なうつ病治療の解決に導いてくれる名医がいるかもしれない。
でもどこにいるのか?
ツテをたどりながら、名医に相談しに行ったが、どれも変わらなかった。
薬を使わないでうつ病治療してもらいたいと言っても、渋い顔をするばかりだった。
医者不信が強くなった。名医といわれる存在でもただの政治力で知られているにすぎないと痛感した。
中には森田療法と組み合わせたり、催眠治療を使ったり、なるべく薬に依存しないうつ病治療をしていたところもあった。
しかし効果は上がらなかった。
でもとりあえず、そこに腰を落ち着けた。
他の精神科医のうつ病治療よりマシだったからだ。
そこは薬を減らしながら、森田療法をおこなっていって、最終的な離脱を目指すということになった。

そこの医者はよく薬の怖さと副作用を認識していたから、私も安心できた。
妻も長男が入院ということはあるにしても、長男の看病から解放されてホッとしたようだった。
一ヶ月が経った。
妻が長男を迎えに行ったが、結果は薬をそこそこ減らすことができた。
前よりは薬に頼らなくなったから、よしとするしかないのか。
薬の怖さを認識していた医者だったので、うつ病治療に通わせないより良かった。
自宅療養に切り替わった。

インターネットでもうつ病について調べた。
どれもぴんと来るものはなかった。治っていないものばかりで辟易した。顔をしかめて読んでいた。
長男も家で何もすることがなく、インターネットばかりやっていた。
うつ病がおこる限り、また重度の薬漬けになる可能性もあった。
どうにかしなければと私の焦りも強まった。
妻はついに過労と心労で倒れた。
妻は入院してしまった。
ずいぶんと苦労をかけてしまった。
長男を心配させないように、体の不調を理由にしたが、自分のせいだと気づいていたのかもしれない。
無駄な心配をさせると、うつ病がもっと進行してしまうかもしれない。
その恐れは、現実になってしまった。
このころは、恐れがほとんど現実化してしまっていた。
妻のダウンが長男の心をむしばんでいったことは間違いない。
妻が長男のうつ病の悪化をしったら、妻もうつ病に陥るかもしれない。

次男が海外から帰ってきた。
日本で働くように会社に頼んだらしい。
兄や妻のうつ病もあってだ。
アメリカは日本以上にうつ病が多く大変だそうだ。
ほとんどが薬漬けになって会社を辞めていったり、自殺者も多い。
自殺に対して、日本よりアメリカの方が国民的にも宗教的にも厳しいし、タブーがある。
でも、うつ病による自殺者はどんどん増えている。
当然、薬漬けも増え続けているんだろう。
次男は薬物療法の可能性を信じていた。
私はどう思っていいのかわからなかった。
そういう誘惑に負けそうにもなった。
いつか薬でしのいでいるうちに、うつ病が一発で治るすごい薬が出ないとも限らない。
せっかく薬の量を減らすことができているのに、また元に戻ってしまうのか
もう一度同じ森田療法をやっている病院に入院させることにした。
入院が終わるまで、なにか対策を考えなければいけない。

仕事的にいろんな人に会うため、私はこのころ正直に長男のうつ病のことを打ち明け、いろんな情報を得ようとした。
ほかに名医はいないか? 名カウンセラーはいないか? 名セラピストはどこにいるのか?
必死だったのが相手に伝わったのか、思っている以上に親切にしてくれた経営者仲間もいた。
人のありがたみに感謝しながら、リサーチした。
認知行動療法にも通わせた。
薬以外でうつ病に効果があるなら、なんでも聞き出し、紹介してもらった。
でも、どれもあんまり効果が出なかった。
それでも私はあきらめなかった。
次男もそのころ、薬物療法の怖さ、うつ病の厄介さを知るようになり、積極的に兄のために力を貸すようになった。
長男も家族に迷惑はかけられないと必死で探し回っていた。

うつ病に陥ったから、それでもう人生が終わりになるなんて、そんな馬鹿なことあるものか!
なんで長男だけが苦しみ続けるのか
必ず立ちなおることができるはずだ。
私は長男を死なせない。
一刻も早く苦しみを終わらせてやりたい。
また生き生きした息子に戻って欲しい。
神にも仏にもとことん祈ったりもした。
長男が良くなるなら、私の命なんか要らない。
が、そんなことを思っても息子のうつ病が治るわけでもない。
すべてがむなしく思えた。

妻の症状がいくらかおさまり、退院した。
息子のうつ病が改善に向かわない限り、妻もまたいつ再発してしまうかわからない。
うつ病を治すことが不可能だったとしても、私(と長男)だけはやりとげる決意が湧いた。
しかし、その決意は長続きしなかった。
逆に不安になった。燃え立った情熱の炎が消えたとき、私もうつ病になるのではないかという不安に襲われるようになった。
燃えることが怖くもなった。
息子のうつ病が治らなかったらどうしようとマイナス思考に支配され始めた。
しかし、いやそんなことない、必ずやり遂げるという気持ちを強くして対抗した。
このとき一番の苦しみがあって、また勝負所だった。
結果的に言えば、私は乗り越えることができた。
そのときに長男が想像以上にすばらしい先生を見つけ出してきた。

そのあとしばらくして、長男が探し出した先生のことを私も知人から紹介を受けた。
偶然の一致だった。
それだけに嬉しい驚きがあった。
今になって思えば、息子のうつ病が良くなる予感だった。
もしかしたら残された時間はギリギリだったのかもしれない。
いいセラピストとか医者はいないかと熱心にツテをたどっていたが、長男もインターネットで同じ先生を探し当てた。
しょせんいない、と思ってしまったら、その先生(岩波先生)に会うこともなかった。
もしかしたら、いつか岩波先生の存在を知っていたかもしれないが、数年後か、十数年後かもしれない。
そのときは私もうつ病に近い状態になっていたのかもしれない。
長男は、妻はどうなっていたのだろうか?
薬物療法を受け入れて、ほそぼそ副作用に苦しめられながら、ただ息をしてむなしく暮らしていたのかもしれない。

いい先生と巡り会うことができ、ほんとうに幸運でした。
出会うことがなかったら、おそらく未来もないまま、また薬物療法に戻っていたと思う。
薬のうつ病治療しかなくなったら、おしまいだった。
いまも頼らざるを得ない人が多いと思うと、人生のはかなさともろさを考えてしまう。
薬の怖さと良さをちゃんとふまえないと、うつ病が治るものも治らなく、長期化してしまうと思う。
家族としてもうつ病に対して知るべきだと思います。

さてうつ病に最高最善だったセラピスト岩波先生とは息子が神経症克服プログラムをすすめていく中で会うことができた。
息子からいい先生、すばらしい先生、最高の先生と言っていたため、いつか会いたいと思っていた。
珍しく息子が人を褒めていたし、どんな人なのか知りたかった。
幸い、当時私は仕事に追われていたが、たまたま空いた時間に息子と一緒に事務所にうかがった。
第一印象は、揺るがない信念を持っている人だと感じた。
大きな強いオーラをもった先生で、私より数歳年上だった。
背はあまり高くないが、それ以上に大きさなを感じた。
長らく先生のような人とは会ったことがなかった。
社長業という因果か、こんな人がパートナーだったら、いまの何十倍も会社が伸びると思った。
実際、その通りだと思う。
つまり、成功者になれる人間の素質を強烈に持っている人で、ほぼ同い年の私も教えられることばかりだった。
充実した2時間半だった。息子を通わせて良かった。 

トランス状態(意識変容)を体験できた。
息子がさかんにいっていたが、言葉の世界ではすごいと言われてもわからなかった。
すごいというならすごいんだろうが、どれほどの世界なのか見当がつかなかった。
それを体験したとき、やはり言葉では言いあらわせられない。
あれ? というほど不思議で、それでいてものすごく心地がいい世界だった。
人間の精神、心理状態、無意識とでも言うべきすごさと可能性を思い知った。
いわゆる催眠状態とは違う、もっと別のさらに深い状態というべきか。
あれほどのリラックス状態、心地よさを感じたことはない。
雲をつかむような描写になり申し訳ないが、何とも不思議な経験だった。
呼吸が関係しているのか、エンドルフィンとかドーパミンが関係しているのかわからないが、確かに実感できた。
先生の技術一つでそう言う世界に導けるというのは、紹介してくれた人が言うように「ずば抜けた」存在だと言うことだろう。

これはトランス状態への誘導というもののすごさであって、岩波先生の能力の一端にすぎない。
話をしたときに感じたように、クライアントの心をつかむのがとてもうまく、言葉一つ一つに重みを感じた。
息子が言っていたことだが、いつも話していて言葉にブレがないという。
それは私が最初に感じた、揺るがない信念を持った人と一致する。
息子はもう先生を尊敬していた。
その話を聞いて、次男が先生に会いたい、妻が先生に会いたいと言い出した。
結局、家族皆が先生と会うことになったのだが、みなファンになっていった。
家族全員引きつけることができるセラピストや医者・カウンセラーはいないのではないか。
いないに違いないし、だから「ずば抜けた」存在なのだろう。

息子の顔色もどんどんよくなり、憂鬱な表情がだんだん消えていった。
前向きな言葉をはくようになり、自殺願望はすっかりなくなっていったという。
その様子に、心と体が不調になっていた妻もみるみる元気になった。
こうなると、社会に復帰しなくてはいけない。
果たして長男は激務に耐えられるのだろうか。
このときには、もう会社のあとを継がせようとは思っていなかったが、子供たちには充実した人生を送ってもらいたい。
そのために社会の第一線で力を発揮できるかどうかというハードルがあった。
うつ病の改善だけでなく、そこのところまで岩波先生に気を遣っていただいた。
先生が言うには、うつ病が晴れたとしても、失ったものが大きいとまた現実との落差で悩んでしまうから、ちゃんとスキルを身につけないといけない。
どんな社会の荒波にもへこたれない心とリスクを切り開いていける覚悟だ。
これには大賛成だった。是非ともとお願いした。
失ったものをくよくよ考えるよりは、厳しい社会であろうと突き進んでいく存在にならなければならないと思う。
経営者という責任を一手に引き受けなければならない人たちは、それを乗り越えて強くなっている。
この成功哲学について、私と岩波先生の意見はぴったりと一致した。
私の歩んできた人生は間違いではなかったと確認がとれて嬉しかった。
ああ、通わせて良かったと、このときも思った。

私が導き出したうつ病治療の結論を言うと、
まず信頼以上の信頼をもてる先生を持つこと。
そして、その先生は神経症、メンタルヘルスの世界では終わらない、人間としての能力を持っている人がよい。
逆に薬をすぐ出す医者というのは、人間力がないから、薬に頼るのだ。
薬に頼るのは、なにもうつ病で苦しむ人だけじゃない。医者がそれ以上に依存している。
うつ病は、前向きな気持ちになるためにも、目標を高く設定した方が治りが早いということ。
目的に向かって歩み続ける、その間にたくさんのリスクがあるが、それを乗り越えるためにも、目標設定は必要だ。
目的に達するために、歩みを止めてくよくよ悩む暇はないのだから。
うつ病で悩んでいる当人は最初はそんな気力も考えもないが、元気になりたいという気持ちが、いつしか目標へ向かって走るようになれば、
うつ病は一気に解決できる。
息子がまさにそうだったし、私も長い人生経験の中で当たっていると思う。

ながながと書いてしまいました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
人生の転換点となるきっかけに小さいことでもいいからなればと思います。

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